修禅寺から東へ300mほど川を下った先にある御幸橋(みゆきばし)を渡り、小道を東に進みます。道は木々と山に挟まれ、川沿いのにぎやかな温泉街の様子から離れていきました。木々に囲まれてひっそりと佇む白い教会が修善寺ハリストス正教会顕栄(けんえい)聖堂です。
普段は外観のみ見学することができますが、7月を除く毎月第2日曜日に聖体礼儀が開催され、内部も見学可能です。
蝋燭がともった聖堂内はお香の香りが満ち、大きな窓から神々しい光が差しこみ、聖なる空気をまとっています。聖画や調度品、建物細部の装飾は聖堂建築にならった施(ほどこ)しが加えられているにも関わらず、全体として別世界という印象は受けず、なぜか心安まる空間に感じます。
温泉場という和を想像する地域でなぜ正教会の聖堂があるのか。はじめて聖堂の存在を知った方はそう思われるかもしれません。

聖堂の敷地入り口。木々に囲まれた聖堂は、道からはその白い外壁の一部のみ覗かせる。
治初め、温泉場の名士らが近代的思想の一つである正教とニコライ大主教に触れ、活発な宣教活動を展開しました。温泉場を中心に正教会が発展し、明治45年(1921年)にこの聖堂が建設されました。当時、病の床にあったニコライ大主教の回復を願った信徒と職人ら総勢70名が昼夜を問わず尽力し、本来なら3年かかるような建物をわずか3か月半で完成させました。
設計は司祭であり建築家でもあったモイセイ河村伊蔵(いぞう)によるものです。独学で聖堂建設を学び日本各地の木造聖堂、和洋折衷の優美な聖堂を建設しました。1907年に松山の聖堂、その後大阪の聖堂を建設しましたがどちらも現存していません。その後、修善寺、豊橋、白河と続き、1916年建設の函館復活聖堂(国の重要文化財)は最高傑作と言われています。

右:聖堂正面。高さ18mの鐘楼の屋根先端には八端十字架。上部の線は罪状書きを、下部の斜めの線は足台を表している。
左:聖堂南面。軒下には葡萄飾りの持ち送り。
久保ハリストス正教会(1904年建立)と合わせて、同じ市内に2つも正教会の教会があるのは国内で伊豆市のみです。仏教や神道の信仰を中心としつつも、明治期の中伊豆地方にロシア正教の潮流が広まったことは、伊豆の歴史と景観に豊かな深みをもたらしています。
正教会の教会建築の基本形として、日が昇る東方向を向いた舟形をしています。大きな聖堂の場合、聖所は左右に張り出し、クーポルというドーム型の屋根がつけられます。聖堂の最大の特徴が聖障 (せいしょう/イコノスタス)です。正教会において、イコンと呼ばれる聖画は神様との対話に導く大切な道具として、「天国への窓」と考えられています。

東西を軸に西端を入り口とし、啓蒙所、聖所、床を高くした至聖所とつづく。至聖所と聖所をイコンが並んだ聖障(イコノスタス)で仕切る。1「降誕」、2「主の変容」は山下りんによるイコン。
修善寺ハリストス正教会の至聖所に掲げられたイコン「全能者ハリストス」、聖障の「主の変容」と「降誕」、大十字架の「ハリストスの磔刑(たっけい)」は明治期を代表する女流画家であり正教信徒でもあるイリナ山下りんにより描かれたものだと伝えられています。
根や窓、柱の装飾など多くが明治洋風建築の特徴を表現しています。その中で特徴的なものが軒下の葡萄飾りの持ち送りや、柱頭や天井に施されている繊細な装飾です。漆喰などの日本の伝統技術で西洋建築の模倣をする、明治期の擬洋風建築をあらわす貴重な建築用法です。これらはなまこ壁でも有名な松崎町左官職人の入江長八(いりえ ちょうはち)の弟子たちが施しました。 平成16年の台風で聖堂と信徒集会所に大きな被害を受け、聖堂の外壁の一部は塗装にて修復しました。

ひとつずつ丁寧につくられた軒下の葡萄の持ち送り。
シャンデリアの釣元に描かれた漆喰鏝絵

昔からこの聖堂を知る方にお話を伺うと、戦前は十字行(じゅうじこう)といって司祭が十字架を持って街を練り歩いていたそうです。当時、子供たちは鐘楼に登らせてもらうなど、聖堂がより身近な場所でした。
現在の修善寺ハリストス正教会は長司祭ディミトリイ田中仁一神父と、アナスタシア田中祐子氏、静岡県東部の信徒のみなさんによって100年以上使われてきた生きた空間の輝きを伝えています。

聖体礼儀の様子。聖所は蝋燭が灯され厳かな雰囲気。聖体礼儀のあいだ定められた時に王門が開く。明治期の歪みのある窓ガラスから注ぐ光が水面のように揺れるさまは天からの恵みを感じさせる。聖障と水晶製のシャンデリアは中国東北部の旅順で使われていたものが運搬・設置された。
基本形に則(のっと)った平面形式や、洋風の技術を模した建築は存在する場所との関係性が希薄になりやすいです。ひっそりと隠れているような敷地に加え、比較的小さくまとまった内部に圧迫感を感じてもおかしくありません。しかし、修善寺ハリストス正教会は木々に囲まれた静かな敷地であること、平面に対して大きな開口部などが互いに作用し、厳かな空気と共に外へつながる解放感を感じます。

聖所より啓蒙所をみる。柱上部には漆喰でできた柱頭飾り。
王門の前に立つのは長司祭ディミトリイ田中仁一神父。開かれた王門の奥には至聖所に掲げられた「全能者ハリストス」のイコン。

このささやかな解放感により聖堂は過大な非日常の場所ではなく、まるで、まちの集会場のような拠り所として迎え入れているようです。祈りの場として心の奥の宝物を入れる引き出しのような優しい穏やかな空間です。このような空間をつくることは、別世界にいるような圧倒される力強さをもつ大きな聖堂をつくることと同様に大切で困難なことです。
修善寺ハリストス正教会は安心感を得られる拠り所としての空間であり、その慎ましやかな佇まいは修善寺の景観を特徴づける名建築のひとつです。
修善寺ハリストス正教会 顕栄聖堂
竣工: 明治45年(1912年) 6月2日
設計: モイセイ河村伊蔵(いぞう)
住所: 静岡県伊豆市修善寺861
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電話: 0465-22-2792 (小田原ハリストス正教会)
拝観日: 7月を除く毎月第二日曜9:00-12:00
[…] 建築探訪:修善寺ハリストス正教会修禅寺から東へ300mほど川を下った先にある御幸橋(みゆきばし)を渡り、小道を東に進みます。道は木々と山に挟まれ、川沿いのにぎやかな温泉 […]