修禅寺から虎渓橋(こけいばし)を渡ると土産物屋が立ち並び、なまこ壁の小道がつづきます。植栽あふれる庭園のある立派な邸宅ともみえる建築が大和堂医院です。ひときわ風格のあるなまこ壁が壁一面、屋根までのび、明治21年当時のままの姿で佇んでいます。塀には伊豆石のなかでも貴重な伊豆の国市神島産の小室石(おむろいし)が使用されており、カラフルな火山礫が参道を小粋に彩ります。
大和堂医院の玄関。風格ある入り口と大和堂医院の手書きの看板が迎える。
左:南からみる大和堂医院。右:修禅寺に続 く銀座通りとよばれた参道。
小室石の石垣となまこ壁 。左上 : 凝灰岩に火山岩塊の断面が美しくあらわれる。
石柱を抜けると鳳凰の飾り瓦をのせた破風の玄関が迎えます。扉をあけ小上がりを上がると続き間の奥にある庭に視線が抜けます。中心に大きな池を配した庭園から、心地よい緑と光が注ぎます。8畳ほどの待合室には火鉢が置かれています。大きくかかれた大和堂の書は幕末の三舟の一人、高橋泥舟によるものです。奥の診察室には歴史ある建物ならではの書や襖絵があります。内装や装飾が豊かな一方、空間としては待合室・診察室がひとつづきにおさまり、診療所としての機能がコンパクトに凝縮されています。
明治34年の鳥瞰図。母家、蔵、中庭と塀は現在も同じ姿を見ることができる。(国土地理院所蔵 豆州修善寺温泉場改図を加工)
庭に面する縁側は増築された部分です。古地図を見ると庭の向かい側にはかつて離れがあったと見受けられますが、現在は建て替えられています。
院長の野田聖一氏。院長の背面にある部屋はかつて処置室として使われていた。
庭にひらく増築された縁側。増築前は障子と雨戸で内外を仕切っていた。
大和堂医院は夏目漱石が「修善寺の大患」の際に往診した歴史ある医院です。明治42年、療養に訪れた漱石は菊屋旅館に滞在していましたが、容体が急変し初代院長の野田洪哉(こうさい)氏が処置しました。
現在は野田聖一(きよひと)氏が4代目院長をつとめており、町の医療の拠点となっています。
玄関を開け小上がりを上がると中心に火鉢が置かれている待合室に入る。待合室から診察室をみると奥には中庭が広がる。欄間に飾られているのは高橋泥舟の書。
長年、町の健康を守ってきた医院は、建物からも歴史と風格を感じます。
修善寺の景観を特徴づける名建築のひとつです。
大和堂医院
竣工: 明治21年
設計: 不明
住所: 伊豆市修善寺947番地
※こちらの建物は医院として開業中であり、住宅としても使用しています。見学は敷地外から節度ある範囲でおこなってください。