修善寺温泉の歴史は古く、弘法大師の開湯伝説から1200年以上もの時を刻んできました。鎌倉時代に源範頼が幽閉されたことから「源氏ゆかりの地」として、また、明治時代には数多くの文人墨客が足を運んだことから「文豪ゆかりの地」としても知られています。
修善寺で執筆された作品や作中にこの地域が描かれた作品は、岡本綺堂『修禅寺物語』や芥川龍之介『温泉だより』、尾崎紅葉『金色夜叉』、泉鏡花『斧琴菊』、『奥の院にて』、島崎藤村『伊豆の旅』など数多く存在しています。
ゆかりのある文豪たちの中でも、特に地元の人が愛してやまないのが夏目漱石です。住民有志で「修善寺漱石の会」という愛好会がつくられ、漱石の生誕150年の節目(2018年)には、漱石が滞在していた旅館「菊屋」の本館が当時あった場所に句碑を建立するなど、その愛の深さを感じることができます。
筥湯(はこゆ)の東側にある句碑。修善寺の大患から回復した際に読んだ句(「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉」)が刻まれている。
修善寺出身の紙切り作家・水口千令(ちはる)さんによる漱石と独鈷の湯などをモチーフとした作品も刻まれている。
同会の会長であり、茶屋「一石庵」の店主・原京さんがぜひ足を運んで欲しいと勧める漱石関連スポットは、修善寺自然公園内の詩碑とのこと。温泉場からは少し離れた場所になりますが、バスも運行しているので、ぜひ足を伸ばしてみてください。春には桜が、秋には紅葉が楽しめる素敵な公園です。
修善寺自然公園(もみじ林)内にある「修禅寺日記」内の漱石直筆の詩を拡大して刻した詩碑。碑陰銘は漱石と親交を結んだ狩野亨吉の文、菅虎雄の書によるもの。漱石十七回忌の翌昭和7 年4 月に漱石夫人、友人、門下生らのほか、当地関係者により建立、除幕された。
『湯文好日』の創刊に際して、原さんにぜひ漱石にまつわるお話をひとつとお願いしたところ、一編の小説を寄稿してくださいました――
茶店の本棚
「ねえ、なんで夏目漱石の本ばかり並んでいるの?」
「なぜだろうねぇ。漱石って修善寺と何か関係があるのかねぇ?」
「この店の人の単なる趣味?」
「まあそんなところだろうね」
若いカップルのそんな問答に茶店のオヤジは徐に腰を上げた。
「それはね、漱石が――」といいかけると
「ああ大丈夫です。そんなに興味はないですから」
「大丈夫かどうかは知らないが、一つ旅の思い出に説明いたしやしょう」
「漱石なんてアノ気難しい顔しか知らないし、そもそも読んだことないし」
「あと昔の千円札だっけ。坊ちゃんは教科書にあったような気もするけど」
「でもあなたたちはちゃんと夏目漱石をご存知じゃありませんか」
「そりゃぁ顔と名前ぐらいは」
「で今、あなたたちはこの修善寺温泉の茶店で、えーと、おしることコーヒーですか、くつろいでいるわけですよ」
「それが」
「まあお聞きなさいまし。この偶然にして必然とも思われる出会いが素晴らしいことだと考えられませんか」
「ちょっとお、グイグイきますね。お引きとり願います」
「イヤイヤ、お二人の会話を小耳に挟んだだからにはね。偶然出会った茶店のオヤジに修善寺と漱石について聞くなんて旅のダイゴ味じゃありませんか」
「ねえ、いいじゃない。急ぐ旅じゃないし、それにオジさん、なかなかハンサムだし」
「ありがとう。万事女性の言い分をきくことがうまくやるコツでしょうな。これは昔からの鉄則であり――」
「そんなことよりサッサと説明してよ。イラつくんだよなぁ」
「ハイ、ではいきます。ズバリ、漱石は修善寺で死んだのです」
「ええーっそうなの、知らなかったぁ」「ウソを言っちゃあ困るな。今ググったら東京の自宅で死んだって」
「でも漱石自身が『修善寺で死んだ』と行っているから仕方ないですね」
「どういうことなの?」
「一度死んだけど蘇ったんだよね」
「えっナニソレ、面白い、ちゃんと教えて」
「今日はここまでにしておきましょう」
「ええっそりゃないよ」
「またいらした時に続きを――えっそんなに来られない?ではとっておきの方法をひとち。漱石の『思い出すことなど』、これをご一読あれ。一度死に、生まれ変わった謎、文豪にとって修善寺とは何だったのか」
怪訝な表情を残したまま二人は店を後にした。若い二人に、漱石を読むきっかけになることを願い、オヤジは皿洗いに戻った。